橋本龍太郎氏の逝去を悼む

 元総理の橋本龍太郎氏が逝去されました。68歳でした。弟である高知県知事の橋本大二郎さんが福祉機器展のシンポジウムの時(6月17日)に、「腸の大半を摘出しましたし、意識不明状態」と聞いていました。まだまだ活躍できる年齢ですのに・・。

 橋本龍太郎氏は歴代総理の中では、一番熱心に沖縄問題に取り組まれていました。1996年におきました米軍兵士による小学生暴行事件を契機に、普天間基地の移転を決断しました。また沖縄の経済的自立を促す解決策として「全島フリーゾーン構想」にも理解を示し推進していました。

 その流れは跡を継いだ小渕総理にも受け継がれ、2000年の沖縄でのサミット開催や、2000円札発行までそれは熱心でした。森内閣から小泉内閣になって沖縄問題には不熱心で、実に侮蔑的な対応に終始しました。辺野古への移設など地元の意向は無視されましたし。

 高知県におきましては、橋本総理ー橋本知事の関係では、地上第3波テレビ局のさんさんテレビ開局と、東京便の日本航空乗り入れなどが実現した効用があったと思います。高知自動車道路は山岳高速道路ですが、全線4車線もこのころ目処が出来ていたのではないでしょうか。

 1991年の高知県知事選挙の折「党のお叱りを受けましてもたった1人の弟の大二郎を応援に来ました。」と言い放った橋本龍太郎氏。目撃したのはその前の自民党幹事長時代と2回しかありませんでしたが、個性の強い政治家の1人でありました。