石橋湛山を見直そう

ruiikumi2007-07-07

 7月4日NHKの番組そのとき歴史が動いた。は石橋湛山を取り上げていました。「冷戦の扉を破ろうとした男 石橋湛山」というテーマでした。
 戦前は帝国主義と戦い、戦後は冷戦構造とたたかった日本の政治家。実は和私が1番尊敬している政治家の1人なのです。

戦前は東洋経済新聞で論陣を張り、「植民地経営するコストのほうが、収益より多いので赤字」「植民地を独立させ、自由貿易国として世界中と交易したほうが経済は遥かに豊かになる。」「大日本主義は滅亡の道。小日本主義でいくべきだ。」と軍部ににらまれながら論陣を張り続けました。

 戦後は大蔵大臣になると日本経済の3分の1になっていたGHQの経費の2割削減を成功させました。その恨みなのか4年間公職追放されますが、復帰後全方位外交を唱える政治家として活躍しました。

 そして昭和33年に首相になりますが、無理がたたり僅か2ヶ月で退陣しました。米国追随外交の岸信介氏とは対照的に、当時国交のない中国を訪問し、パイプを繋ぎ、それは後の後継者達により大きく評価されました。

 「日米中ソ平和条約」を提唱もしていました。その仲介役と推進役は日本でありました。
 いびつな対米従属外交を繰り返し、アジア諸国から反感ばかりかっている安倍内閣。かつての自民党には石橋湛山氏という偉大な政治家がいたことを私たちは忘れてはいけないと思います。